NDAJブログ

ディベート団体「NDAJ」のブログです

石島×一ノ宮対談についての本人コメント

石島×一ノ宮対談について、対談を行った当事者である石島さんと一ノ宮からのコメントを掲載させていただきます。
 
・石島さんによるコメント
 一ノ宮氏のディベート論は文字通りラディカルで、とても刺激を受けました。彼の意見は、今までのディベート日本のESSを中心としたpolicy debate)が向き合ってこなかった欠点を的確に指摘していると思います。のみならず、ディベートを武道や茶道のような「道」として捉える一ノ宮氏のディベート観には無類のものがあり、この音源を聴くことには、まさに佩韋佩弦(はいいはいげん)の趣があると言えるでしょう。ぜび、彼のディベートに懸ける生きざまを感じ取ってほしいと思います。
 内容として、「午前の部」はいしじまの自分語り成分が多めですので適当に飛ばして、「午後の部」の一ノ宮氏のラディカルなディベート語りを聴かれることをお勧めします。なお、「飲み会」の17分くらいからは、英語の勉強法について話しているので、もしかしたら役に立つかもしれません。
補足:公開前に全て聞き返してみて思ったのですが、「コンパリ全否定論」を唱える一ノ宮氏と、様々なコンパリを試合前に準備し戦略的に実行することを説いている私の主張との間には、実はあまり大きな差はないようにも思います。一ノ宮氏の論の方がよりラディカルで本質的ですが、結局実際の試合にすると、私が行ったような、従来のコンパリにのっかりながら行うもの(午前の部1時間43分くらいから)の延長線上にあるとも言えます。やはり、勝敗をつけるゲームである以上、比較を議論の中心におくことは避けられないと思います。ですので、死人の数や不明なリスクを比較するということの無意味さを試合の中で指摘していき、そうではない基準を示す、ということが、結局一ノ宮氏が指摘している「コンパリ全否定論」にもつながることになるのではないか、と考えています。
 
・一ノ宮によるコメント
 今回の対談についてですが、音源を聞いてみて感じたことは、やはり厳密に物事を伝えるには対談という形式は不向きであるということです。書面やセミナーなどの表現の厳密さに注意を払った場と違い、厳密に表現できていない箇所や誤って解釈される可能性がある表現なども非常に多く見られました。たとえば、コンパリについての話などは、「コンパリ全否定論」の全貌を示さずに次の話題に移ってしまったので、「コンパリほぼ全否定論」になってしまっていました。
 ただ、今回の対談の意図は厳密に僕と石島さんの知見を伝えるということではなく(そもそもこの程度の時間ではごく一部しか伝えることはできませんし)、対談を通じて「場」を楽しむという感覚を伝えることだからです。今回の対談を通して、ディベートを通じて多くを共有したもの同士がただ徒然と対談するだけで素晴らしく濃密な「場」が生まれるということは伝わると思います。
 対談中でも触れましたが、僕と石島さんの関係は、1シーズン後輩のエジュケを手伝っていただいた以外はただのパンツとジャッジです。そのため、僕のディベート人生については、石島さんと共有していうものはそれほど多くはありません。しかし、ディベートそのものについては、大変多くのものを石島さんと共有しています。それは、僕と石島さんがラディカルであることを恐れず、ディベートに取り組み、高い技術を身に付けたからです。
 対談の内容を聞けばすぐに理解できると思いますが、この対談の「場」の濃密さは僕と石島さんのディベートに関する深い理解がなければ生まれないことは明らかです。ただ仲が良いだけのおっさん二人が、何時間もあのアイドルが右翼だどうのと話していてもあんな濃密さは生まれません。つまり、この濃密さの源は、僕と石島さんが「ディベートを通じて多くを共有したもの同士」であるというのは、ただ一緒に過ごした時間が長いということではなく、互いがディベートという共通の怪物と本気で格闘した経験とその産物を共有しているということです。
 これは、実は厳しい現実です。なぜなら、このことは、この対談のような濃密な「場」を生み出せるのはディベートを深く理解できた者だけであることを示しているからです。実は、僕としてはこの対談を通じて最も感じてもらいたかったのがこの点なのです。ディベートはただ無為に流されるまま取り組んでいるだけでは、誰かの仲良しにはなれますが、濃密な「場」の一員となれる人間にはなれません。この濃密さを生むディベートに対する深い理解を得るのは、ただ現行レジームに逆らうことすら恐れず、全力で生のままにディベートに取り組むことができた人間のみです。そうすれば、結果として挫折したとしてもその経験自体はある面でディベート対する深い理解になるでしょう。
 自分の内と外から来る全体主義に屈することなく、自由の下、本当に僕たちが憧れていたはずのディベートと格闘しましょう。ただの仲良しクラブではなく、濃密な「場」を楽しみたければ。